大判例

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広島地方裁判所 昭和34年(行)2号 判決

原告

今田澄男

右訴訟代理人

中川鼎

ほか四名

被告

広島県教育委員会

右代表者教育委員長

梶川裕

右訴訟代理人

中場嘉久二

右指定代理人

瀬良文夫

ほか四名

主文

被告が昭和三四年二月二一日付でなした原告を公立学校校長から公立学校教員教論に降任するとの処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

(当事者の求める裁判)

一、原告の申立

主文同旨の判決を求める。

二、被告の申立

(一)  本案前の申立として「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」

(二)  本案につき「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

(請求の原因)

第一、本件行政処分の存在とこれに対する出訴の経緯

一、原告は昭和二四年四月三〇日被告委員会から公立学校校長に任命され、長束小学校(別紙略語表による。以下右略語表に掲げたものはすべて略語による。)校長に補職されてそれ以降同校校長の職にあつた者である。

二、ところが、被告は原告に対し昭和三四年二月二一日付で公立学校校長から公立学校教員教諭に降任するとの発令をなし同日人事異動通知書と題する書面をもつてその旨通告してきた(以下本件降任処分という)。右書面によると、本件降任処分は、原告が学校の予算執行その他の職務執行に関し、しばしば職務上の上司の職務上の命令に違反する等校長としての適格性を欠くものと認められるとしてなされた地公法第二八条第一項第三号に基づく分限処分である。

三、しかしながら本件降任処分は後記のとおり手続的にも実質的にも違法であつて取消しを免れないものである。<中略>

第二、本件行政処分の違法事由<省略>(被告の本案前の申立の理由)<省略>(請求原因に対する被告の答弁ならびに主張)

第一、請求原因に対する答弁<省略>

第二、原告の校長としての不適格性

原告は公立学校校長としての適格性を欠くものである。

すなわち、小学校校長は県費負担教職員たる身分を有する公務員であつて、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、その職務の遂行に当つては法令にしたがい、かつ職務上の上司の職務上の命令に忠実にしたがつて職務に専念するほか、その職の信用を傷つけまたは職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならず、あるいは公の機関の決定した政策の実施を妨害する目的をもつてなす政治的行為の禁止に服しなければならない立場にあり(地教行法第四三条第二項、教育公務員特例法第二一条の三、地公法該当条項)、そのうえ特に校長として校務を掌り所属職員を監督しなければならなのであつて(学校教育法第二八条)、適正な学校管理運営を行い、かつ自己の品位を保ち、更に外部との協調を図り学校に対する信頼感を失墜しないようにする等の責務が存するものというべきところ、後記原告に関する各事実を総合して考えるとき、原告が校長としての責務を果すに必要なる適格性を欠くものであることは明らかであるといわなければならない。

一、学校統合問題に関連して

広島県安佐郡紙園町は、昭和三二年六月一四日町議会の町立長束小学校および原小学校を統合して新しい学校を設置する旨の議決(賛成二五、反対一)を得て、その施策につき町民の協力と補助金の獲保に努力することとなつた(以下右両校の統合を学校統合という)。ところで、この学校統合は財政の効率的運営と学校の適正規模の実現を期するものであつて、国の方針に添うものであり、そしてその財政的裏付けとして国からの補助が見込まれていた。ところが同年八月一八日に結成された存置期成同盤は町の学校統合の施策に対し果敢な反対運動を展開するに至た。そしてこの反対運動は関係方面への陳情、請願のほか、町長、助役の解職要求、長束地区出身町会議員の退職要求、長束婦人会幹部の退職要求、農協不買運動、町政事務の監査請求、町長リコール運動へと発展して行き、ついには統合後の学校へは児童を通学させないとの決議をなすまでに至つた。このように統合反対運動があまりにも苛烈なため、文部省において内定していた補助金も他に廻されることとなり、その後いつ補助金が出るかどうかの見通しも立たなくなつて、町当局は統合施策を遂行することができなくなつてしまい、同年一〇月一〇日広島県知事の調停にしたがつて学校統合を見合わすこととした。ところで原告の直接の上司である町教委が統合の実現に尽力していたのに、原告は統合すれば学級数が減じすし詰め学級になつて教育効果は上らずまた長束地区に八〇年の歴史をもつ学校がなくなることは区民の教育文化の中心を失うから教育者の良心にかけてこれに反対するとの独自の見解に立ち、前記町の学校統合の行政方針に協力しないばかりか、学校統合問題が取沙汰されだした昭和三二年四月ころから決着をみた右同一〇月中旬に至るまでの間(以下統合問題期間という)、長束地区の一部勢力と結び付き存置期成同盟の顧問に就任する等の方法で政治運動の性格をもつた学校統合反対運動に積極的に参加したものであるが、その間原告は次のごとき行動をなした。

なお、原告が右反対運動に参加したことは、原告は昭和三四年四月二七日午後一時の第二回準備手続においてこれを自白しているので、その自白を採用する。

(一) 原告は社会学級を利用して学校統合反対の理論的権威付けと長束区民の統合反対の気運を煽つた。すなわち、原告は昭和三二年四月二四日広島大学教授杉谷雅文(「子供のしつけ問題」について)、同年五月一一日同大学教授川地理策(「PTAの反省と課題」について)、同年八月四日同大学名誉教授長田新(「教育問題」について)をそれぞれ講師に招き社会学級において講演をなさしめたが、その際学校統合が好ましくない旨の意見の発表をも行わしめた。

右講演がなされた日時は学校統合問題が熾烈を極めていたころであつて、かかるときに原告自ら右講師の選定(統合賛成の人は一人も招いていない)、その講演交渉および謝礼に当り講師に右とごとき意見の発表をも行わしめたものである。

(二) 原告は存置期成同盟の顧問に就任し資料の提供をなし、また右同盟の実行委員会(立案、運動方針の決定をなす機関)、右同盟主催の区民大会(昭和三二年六月一八日から同年一〇月一三日までの間に計九回)に長束小学校講堂を使用させたばかりか、これに出席し、かつ存置期成同盟役員宅を訪問する等して学校統合反対運動につき指導的役割を演じた。

(三) 原告は統合問題期間中連日夜のように長束小学校職員に学校統合反対運動のための仕事を手伝わせてこれに協力させ、また同校児童に学校統合反対のビラの配布をさせたりしたばかりか、学校の施設資材を右運動のために使用した。例えば、原告は昭和三二年六月二三日日曜日であるにもかかわらず、学校全職員を動員して夜中まで請願書(乙第三七、第六八号証)の作成に当らせたり、決議文(乙第五証)を同校教頭に書かしめたり、存置期成同盟実行委員会に対し夜間同校講堂を使用することを許容し、また学校用紙を反対運動のため多数使用した。そのほか昭和三二年八月四日統合反対派(同年八月二日結成の「子供を守る会」)主催の広島大学名誉授長田新の講演会に際し町教委の承認を得ないで購入した講堂用上敷六〇畳(六間もの一〇枚)をこれに提供を許したり、存置期成同盟が学校内でその事務を執ることを許容したりもした。

(四) 原告は昭和三二年六月二二日長束小学校PTA役員総会の席上同PTA副会長山崎妙子(昭和三一年一〇月一日以降現在に至るまで町教育委員)が学校統合反対の陳情書(乙第一号証)を撤回したことを理由に右山崎をひどい見幕で問責し、数回にわたり陳謝の辞を述べるよう強要し、更に机を叩いて「今後一切こんなことはしませんと一札詫び状を書け」と怒鳴りたてたが、その現場の状況は正にこの世の地獄といつた惨状を呈した。

(五) 昭和三二年六月ごろ、原告が学校統合反対運動に積極的に参加していることを非難する趣旨の投書が町教委に対し多数なされた。またその旨の噂が一般に流布されていた。

(六) 原告は昭和三二年六月二三日バタンコに載つて学校統合反対運動の気勢を挙げた。

(七) 原告は昭和三二年六月二四日被告委員会に出向き存置期成同盟の請願書を提出した。

(八) 原告は昭和三二年六、七月ごろ中西町長から統合問題について行動を慎むよう注意を受けたのに対し、「学校統合は止められた方がよいですよ。これを頑張られると次回は当選しませんよ。」と暴言を吐いた。

(九) 原告は昭和三二年七月一三日学校統合賛成派の山中光子(児童山中尚子の母親)に対し約一〇〇名近い人々の前で三、四〇名の存置期成同盟の婦人達に取り囲ませ学校統合賛成の理由を述べるよう強要してか弱い女性を窮地に追いやつた。仮に原告が自ら右山中光子に説明を強要しなかつたとしても、右婦人達と意を通じ右婦人達をして右事態を引き起こさせたものである。

(一〇) 原告は昭和三二年七月一五日町主催の学校統合説明会に聴衆として出席し、中西町長に対し極めて不遜な態度で「町長さん、今日はぞろりぞろりとえつと県庁へ行かれて補助が貰えましたか、えつと貰えるのがええですの。」と質問して同町長をやゆした。

(一一) 原告は昭和三二年八月二三日学校統合反対運動に積極的に加担していることを理由に町教委から地教行法第四三条に基づく警告を受けた。

(一二) 原告は統合問題期間中学校統合に反対した長束小学校PTA(統合反対運動熾烈のときは同PTAの代りをしていた「子供を守る会」)に協力した。

(一三) 原告は統合問題期間中町教委および藤井教育長から幾度となく統合反対運動のごとき政治的行動に参加しないよう指示されたが、これにしたがわず、「教育者の良心にかけて反対するのだ」と豪語してことさらに上司の職務上の命令を無視した。

(一四) 原告は昭和三二年一〇月一日長束小学校存置祝賀秋季大運動会を開催したほか、学校統合問題が落着した一〇月一〇日を長束小学校創立記念日と定めることとし、同年一〇月一二日には学校講堂で祝賀会を開催した。

(一五) 以上のような原告の言動により学校に対する父兄の信頼を極度に失墜させ転校生を続出せしめた(二七名)。

二、勤務評定に関連して

町教委は広島県勤評規則に基き昭和三三年七月一一日文書により管下公立小中学校長を召集し各学校長に対し勤務評定を行うよう職務命令を発し、続いて同年九月一〇日付文書により原告に対し勤務評定書を町教委にその提出期限(条件評定書は昭和三三年九月二五日、定期評定書は同年一〇月一〇日)までに遅滞なく提出するよう指示したが、原告は所属職員のうち職員二名(昭和三三年四月二一日採用の教諭宗本計および高橋昭子)について正規の条件評定書を期限までに提出せず、同年九月二五日右両名の正式採用についての意見書を提出した。右書面が広島県勤評規則に定められた様式と全く異るものであつたので、町教委は原告に対し所定の勤務評定用紙に記載のうえ提出するよう指示し、その後も同年九月二六日、二七日、二八日、三〇日の四回にわたり文書によりその旨督促を行つたが、原告は正規の条件評定書が条件付採用期間中の職員を正式採用とするかどうか決定するための重要な人事資料であるのに、右決定をなすべき最終期限たる昭和三三年一〇月二〇日に至つてもなおこれを提出せず、一〇月二九日に至りようやくこれを提出したものであつて、条件評定書利用の主たる目的を失わしめた。原告は定期評定書についても一〇月二九日に至つて提出したものである。右各勤務評定書の提出遅延は町教委の職務命令に違反するものであつて、そのこと自体原告が校長としての適格性を欠くことを表するものであるが、更に右勤務評定書の提出に関して次のごときその不適格性を表徴する行為があつた。

(一) 町教委が前記のごどく昭和三三年七月一一日町内各小中学校長に対し勤務評定を行うよう職務命令を発した際、藤井教育長が原告に対しその指示書を手交しようとしたが、原告が手を出さないので原告の机の上に右指示書を置いたところ原告は軽くこれを爪で弾きこれを手にしないばかりか、教育長が右指示書の朗読をしたところ、「業務命令ですか」と質問し、これに教育長が「業務命令です」と答えると、かねて用意していた勤務評定に関する文書(以下質問書という)を朗読しはじめ次第に大声となり声をふるわせて読み終り「勤務評定を実施して教育の効果が上るとお考えですか。正確な評定ができるとお考えですか。明確なる回答をお願いします。」とか、「教育長は毎日役場に来てこのことを専門的に研究しているのだから、私を満足させる答弁をする義務がある」と云い、教育長より「この文書は教育委員会殿となつているし、たとえ教育長宛でも教育委員会にはかつてから答弁するかしないか、また如何様に扱うか後日決定する。」と答えると、「委員会を開く必要はない。今直ちに他の校長の居る前で納得のいく説明をして貰いたい」とか、「この文書について納得のいく回答があれば勤務評定するが、それがないときは勤務評定の実施には絶対に応じることができない。」と放言した。そして、原告は右指示書を町教委に置いて帰つたので、町教委は原告に対し右指示書を送付した。

(二) 原告は昭和三三年七月一八日ごろ町教委事務局を訪れ、右送付の指示書に関し、藤井教育長に対し「教育長の文書によれば指示書を置いて帰つたと書いてあるが、自分は置いて帰つたのではない、返したのである。教育長は大嘘をいう。教育長はよく嘘をいうからいけない。今度は役場の者ではない第三者の立会人を入れて返すが、それなら文句はなかろう。」と放言した。

(三) 原告は昭和三三年七月二一日広教組竹本執行委員が町教委事務局においてて藤井教育長と勤評について問答している際に右事務局を来訪し教教長に対し「今日は竹本執行委員が来ているので、竹本さんを証人として指示書を返しますが、置いて帰つたの、忘れて帰つたんだろう等と教育長一流の嘘を云わんように立派な第三者を立会人に入れたんだから文句はありますまいのお。」と云つて指示書を置いて帰つた。

(四) 原告は職務上の上司である藤井教育長に対し昭和三三年七月二四日書留郵便をもつて同三〇日までに、同年八月一一日同じ書留郵便をもつて同月三一日までにいずれも質問書に対する回答を必らず文書をもつてなすよう催告した。原告が職務上の上司に対し書留郵便をもつて文書による回答を期限付で要請すること自体既に不遜極まる常軌を逸した行為であるばかりか、原告は自己の質問書が日教組の講師団が支持している日本教育学会教育政策特別委員会の動評に対する見解を引き写したものであつて町教委の教育長であるに過ぎない藤井教育長において県教委の説明ないしは県教委の資料以上の回答ができないことを十分知りながら、右催告をしているものである。

(五) 原告は昭和三三年八月二四日午後二時ごろから紙園小学校講堂で開かれた「勤評を語る会」の主導者となり右会場において自ら希望して司会者となりながら、右会場に出席した長束地区の学校統合に反対した二、三〇名の者の中からの質問および広教組書記次長竹本武士の藤井教育長に対する吊し上げ的な質問(「今田校長が質問書を出しているが回答したか、町教委が勤評をやれると思つている気持をもう少し整理して聞きたい」)を制止しないばかりか、藤井教育長が当然なすべき町教委の任務についての答弁を自ら進んで独断でなし、「教育委員会は教育の条件を整えたり設備施設を整えたりするのが主たる仕事である」と述べ、あたかも町教委が勤評を行うのはその職務外であるように受け取れる意見を述べた。

(六) 原告は昭和三三年九月二五日藤井教育長に対し勤務評定書を提出するから取りに来いとの電話をし、右教育長から持つて来るよう指示してもこれに応じなかつた(原告はこの日前記意見書を提出した。)ついで、同年一〇月一〇日同じく町教委に勤務評定書を提出するから取りに来いといえ自ら持参するのを拒否した(原告はこの日内申書と題する書面を提出した)。

(七) 原告の以上のような勤評反対に起因して父兄の長束小学校に対する信頼を失墜させ同校から多数の転校生を出した(一八名)。

三、予算の執行に関連して

学校予算の支出命令権は町長に存し(他方自治法第一四九条)、町教委は単に教育財産の取得を申出る権限を認められているに過ぎないところ(地教行法第二八条)、紙園町立各小学校予算は次のように行われていた。すなわち、まず町教委が前年度末に各小学校の予算の合計の枠を町内小学校長会に内示し、学校長は毎年一月ころ予算案の原案を作り町教委に提出する、これを町教委が検討した後町会の文教委員会がさらにこれを検討し、町長がこれを議会に提案し議決によつて予算ができ、これを町長が教育長に、教育長が校長会に順次示し、各学校の児童数、学級数により各学校の予算が定まる。しかして、予算外支出または予算額超過の支出は許されず、この点は教育長から校長会において各校長に注意していた。必要止むを得ないものは町教委から町に要求して追加予算に計上して貰うので、無断購入はしないよう指示してきたものである。なお、備品等の購入については各学校から町教委に申出で町において町が直接購入するか、学校に購入せしめるかを決定することにしていた。その後昭和三三年四月二五日禀議簿制度(町教委が備品等の購入につきこれを認めるかどうか、購入方法の決定等をなすもの)を採用した。ところで、原告は藤井教育長が学校予算に関し長束小学校のみ無視するとの偏見に立ち絶えず同小学校の予算は他の小学校に比較して差別されていると邪推していたものであるが、予算の執行に関しその校長としての不適格性を表徴する次のごとき行為をなした。

(一) 原告は昭和二六年五月一日ごろ町の昭和二六年度の予算に計上されておらず、町長から予算の決議のない工事を無断で着工することの不都合を諭されたにもかかわらず、長束小学校の宿直室、給食室の移転工事(請負額金二二八、〇〇〇円相当)に着工し、町長をして止むなく同年六月二六日昭和二六年追加予算に右工事費を計上せしめる至つた。

(二) 原告は昭和二七年八月ごろ町長の許可を得ないで、長束小学校水道配線工事(幹線から学校までの支線敷設工事)を施工したので町教委は昭和二八年五月三〇日原告に対し譴責の措置を講じた。

(三) 原告が昭和三三年五月一日禀議書をもつて町教委の了承を求めにきた際、予算がないのに既に長束小学校に昭和三二年八月四日講堂用上敷(六〇畳)、同年一二月三日津田式ポンプ二台、同日保管庫二個、同月二〇日パン皿、中食器小食器各四三〇枚が納入されていたことが発覚した。これは原告が無断で購入したものである。

(四) 原告は画板五〇枚、二連シーソー一台、雲梯一台、オーシャン一基、両刃鋸二〇丁、図書戸棚一個の購入につき、昭和三三年五月一日の禀議書で了承を得たが、購入方法の指示を待たないでこれらを購入した。

(五) 原告は昭和三一年度の長束小学校褒賞予算額が金二〇、二五〇円であり、昭和三一年一〇月一〇日以後においては残額金八、六一〇円であつたにもかかわらず、無断で昭和三二年三月二八日賞品金一二、九四〇円を購入し、商人より町に対し右代金を請求せしめた。

(六) 町において昭和三三年度分の町内各小学校の木炭を一括購入することとしこれを各小学校長に連絡していたのに、原告は勝手に単独で藤川商店から長束小学校用の木炭を購入しその処理につき町教委を困惑せしめた。

(七) 原告は予算に計上されていないのに、訴外梅本新次から昭和三三年八月二〇日代金三二、〇〇〇円で鉄製小鳥小屋(同月二七日納入済)、同年一〇月七日代金二〇、五〇〇円で鉄製兎小屋および鶏小屋兼用(同月二〇日納入済)を購入し、しかも昭和三四年度の予算を作成する際、これらの経費を「道徳教育資料」なる名目で予算請求した。

(八) 原告は予算に計上されていないのに、昭和三三年一一月一〇日ごろ訴外栗栖製作所から代金二〇、六六〇円で生徒図書室用卓子二〇個、教師用卓子二個を購入した(同月二〇日納入済)。そして、右代金を昭和三四年度に予算請求した。

(九) 原告は予算に計上されていないのに、昭和三三年八月ごろ朝礼台一基を前記梅本新次から納入させた。しかして原告は同人をして白井俊彦の偽名を用いさせて薬品(消耗品)代として請求させてその支払をなし、昭和三四年度予算に右朝礼台の代金を要求しているものである。

四、婦人会に関連して

長束地区婦人会(会長栗原貞子)は昭和三二年の学校統合反対運動の過程を通じて長束婦人会を脱退した者等により同年九月八日結成されたものであるが、原告は右長束地区婦人会と相携えて学校統合反対運動を斗い抜き、更に右運動後は長束婦人会を圧して唯一の婦人団体としての活動を押し進めようとする長束地区婦人会の意図を汲みこれに加担してきたものであるが、この間次のごとき不適格性を表徴する行為をなした。

(一) 原告は昭和三二年三月三一日長束小学校講堂において開かれた長束婦人会総会において婦人会の運営につき会長山崎妙子を激しく叱責した。

(二) 長束婦人会は結婚衣裳など財産として約一〇〇、〇〇〇円の資産を有していたので、これに対し長束地区婦人会がその結成後右財産の分与を請求するに至つたが、原告は昭和三三年一〇月二八日朝長束地区婦人会長栗原貞子の代理人として右山崎妙子会長に対し「財産分与をしないから裁判にかけて訴える」と威嚇した。

(三) 昭和三二年一一月五日ごろ長束婦人会が毎月恒例の赤ちやん検診を長束農協事務所二階会議場で行うため町役場から借用した体重測定器、身長計などを用意していたところ、原告は当日学校で長束地区婦人会が赤ちやん検診をするから直ちに右器具を学校に搬入するよう督促し、自己の威勢をもつてこれを強行し右農協事務所に参集していた母子を困惑せしめた。

五、原告の小学校長としての日常行動に関連して

昭和二九年五月三〇日長束小学校PTA会長に栗原唯一、副会長に熊本一男などが選出されることによりここに原告、右栗原らを中心とするいわゆる民主勢力が出現し、原告はこの勢力を足場に町行政組織、農協などの勢力に対し敵対意識をもつて行動した。しかも、原告は先天的に倣慢にして独善的な性格を有するものであつて、次のような事実に原告の不適格性の徴表をみることができる。

(一) 原告は昭和二七年一〇月二九日ごろ完膚なきまでに同僚であつた藤井紙園中学校長の教育方針を非難し、昭和二八年一二月一二日には未開放部落問題で右藤井校長を面責して陳謝させるという事態を引き起した。昭和二九年四月ごろ当時のPTA会長をして「今田校長の居る限り会長になる人はないであろう」と嘆かせた程である。

(二) 原告が昭和三二年一月ごろ町教委事務局を訪れた際、宮本佳世子書記が「長束校よりの報告が遅れて困りますから係の方によく注意して下さい」と原告に依頼したところ原告は書記のくせに生意気であるとして同書記を罵倒し、ついに同人をして泣くに至らしめた。

(三) 原告は昭和三二年二月一九日ごろ町教委事務局を訪れ、「教育長はおるか」、「どこへ行つたか」、「よう出るの」と居わせた宮本書記に藤井教育長の出張を非難したばかりか、行事塗板に記載してあつた呉市における図書館教育の項について「呉の方へ行くことがいるもんか」と云い、その項を抹消して帰つた。

(四) 原告は昭和三二年五月一八日長束小学校PTA総会の席上原告の総会対策が不十分であつたため、栗原唯一を会長とするPTA役員が退陣する事態を招き、原告指名の田村善四郎も議長たることができなかつたのにひどく立腹し「子供は可愛いが親がにくい」と三べんも繰り返し放言した。

(五) 昭和三三年五月二日ごろ訴外朝日厨機株式会社の者が町教委事務局に集金に来た際(前記食器代金につき)、原告も一緒に来て顔面蒼白となり、「子供の幸福のためにやつたことが何が悪いか。子供の無い教育長に子供の愛が判るものか。予算というものは子供のために使つてこそ有効だ。校長の言を用いない教育長が何になるか。わしの説明の判らぬ非常識な教育長は人間的価値なし。」と怒号し、右会社の者に「帰ろう、わしが払う」と云い「教育長に新品を買わせて去年買つたものはPTA総会の席上へ陳列して教育長を糾弾してやる」と云いながら引き上げた。

(六) 原告は昭和三三年五月一七日町教委事務局において藤井教育長に対し、「前年度買つたのではない、借りたのだ、長束を差別する気か、今田を差別すること大なるものがある」、「商人を全部連れて来て新聞記者立会いの下に教育長の非常識と差別待遇について糾弾する」、「PTAの総会を開いて糾弾する」等の暴言を大声かつ奇声をもつて叫んだ。

(七) 原告は校長として町と関係を密接にしなければならないにもかかわらず、前記のごとく一部勢力と結び付き、性格的に倣慢、独善的であつたため、地域社会との交渉に著しく円滑を欠き次のごとき排斥運動を受けた。すなわち、原告は昭和二七、八年ごろ、その地域の排斥運動に遭い、PTA会長の成り手が無く、栗原唯一がこれを引き受けたのもその収拾のためであつた。また昭和二三年三月ごろ訴外武内五郎の排斥運動に遭つた。

(八) 昭和三〇年ごろからは特に原告を他の学校に転勤させたいというのが父兄の強い意見であり町会委においても原告の転出を協議したけれども他地教委は原告の人となりを知つていてその受け入れに同意せず、被告県教委もこれには手を焼いていた。

六、本訴提起後の原告の行為について

原告は本件訴訟に関し次のごとき不適格性を表徴する行為をなした。

(一) 原告は故意に証拠湮滅を図つている。すなわち、原告は長束小学校の学校日誌、出勤簿、禀議書等本訴に関係ある公簿を独占して町教委にこれを引き渡さなかつた。また、学校日誌の記載を数多く抹消した。更に、禀議書用紙一〇枚のうち九枚を紛失させた。そのほか、原告は出勤簿の原本として三通を広島県人事委員会に提出した(出勤簿の偽造)(乙第四一号証の三)。なお更に、原告は乙第六号証第六〇号証の一ないし三の文書を偽造した。また、原告は乙第六四号証を作成しこれをあたかもその日時の都度作成したごとく主張し訴訟を自己に有利に展開しようとした。

(二) 原告は当初学校統合反対運動に積極的に参加していたことを自認していたものであり、かつ原告が学校統合反対運動の中枢に参画しこれに尽力してきたことは長束地区民の何人もがその目で見かつ聞いている事実であるにもかかわらず、本件訴訟の途中において(原告の昭和三五年三月四日午後三時の第七回準備手続)右事実を否定し、右運動には全く中立的立場を堅持したと臆面もなく虚言を弄している。

第三  公共の福祉との関係<省略>

(被告の本案前の主張に対する原告の答弁)<省略>

(被告の主張に対する原告の答弁ならびに主張)<省略>

(原告の主張に対する被告の答弁)<省略>

(証拠関係)<省略>

理由

第一  本件行政処分の存在<省略>

第二  訴願前置の関係<省略>

第三  被告の本案前の申立に対する判断

一、被告は、本件降任処分は特別権力関係における特別権力による処分であるから、司法権の対象とならない旨主張するので、この点について判断する。

後記第四、一、(一)、(二)に述べる校長の身分、職務等に照らし校長の勤務関係は公法上の勤務関係としていわゆる特別権力関係に属するものと解すべきであるが、被告が主張するごとく本件降任処分が特別権力関係における処分であるということのみで司法権の対象とならないと云いうるかどうかについては議論の存するところである。

元来特別権力関係における権力主体は具体的な法律の根拠を有することなく、その目的を達成するために、その包括的な支配権の行使として必要な命令、強制をなしうるを原則とし、この関係においては法律の留保の原則は妥当しないものと解されているが、特別権力関係自体国家の全体的法秩序の中において妥当するよう位置付けられるべき制度的存在であつて、法律の優位の原則は特別権力関係においても妥当するものと解すべきであり、実定法が特別権力関係における権力主体の支配権の行使の限界、その反面として従属者の命令服従義務の範囲を画し、もつて従属者を保護することも可能であるといわなければならない。

ところで、実定法によつて保護された従属者の利益ないし権利の侵害に対しいかなる場合において抗告訴訟によつてこれを争いうるかについても諸説の存するところであるが、司法権は元来市民法秩序の維持をその使命とするものであつて、特別権力関係の秩序維持もそれが一般市民としての権利義務に関するものでない限り裁判所の審理に服しないものであると解すべく、特別権力関係における行為のうち純然たる内部的なものは司法権の対象となりえず、一般市民法秩序に関係するものについてのみ司法権の対象となるものと解するを相当とする。

そこで、本件降任処分が一般市民法秩序に関係するものであるかどうかを検討するに、地公法第二七条第一項は「すべて職員の分限および懲戒については、公正でなければならない」と定め、同条第二項は「職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、その意に反して降任され、若しくは免職されず、この法律または条例で定める事由による場合でなければ、その意に反して降給されることがない」、同条第三項は「職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、懲戒処分を受けることがない」と各規定するところである。しかして、同法、第二八条第一項が分限処分としての降任、免職をなしうる場合を、同条第二項が分限処分としての休職をなしうる場合を、同法第二九条第一項が懲戒処分としての戒告、減給、停職、免職をなしうる場合をそれぞれ定めるところである。右地公法の規定によれば特別権力関係における権力主体も右規定に基づかなければ分限、懲戒の処分をなしえないことを法律上義務付けられているものというべく、その反面地公法上の職員は右地公法の定める事由によらなければ分限、懲戒の処分を受けることのない地位を法律上付与され、もつてその地位を保護されていることは明らかである。しかして、右処分のうち戒告のごときは純然たる内部的なものと解されるから、これを抗告訴訟において争うことはできないものと解されるが、免職、休職、降任、降給、停職、減給の各処分は純然たる特別権力関係内部の問題であるということはできず、給与請求権一つを取上げてみても被処分者の従前の地位を保持する関係においては被処分者も権力主体と対立し一つの権利主体としてその地位を保持する権利を有するものと解せられる。右被処分者の地位を保持する関係においては、その権利侵害に対しては抗告訴訟においてこれを争うことが許されるものと解すべきである。

ちなみに、地公法上の職員はその意に反すると認められる不利益処分について審査請求をなすことができ(同法第四九、第五〇条)、右不利益処分とは降給、降任、休職、免職その他著しい不利益処分をいうものと解されるところ(国家公務員法第八九条参照)、右処分についてさらに抗告訴訟を提起しうるかについて本件降任処分当時明文の規定は存しなかつたけれども、訴願前置に関し追加された地公法第五一条の二(昭和三七年五月一六日法律第一四〇号改正)の規定は右処分が抗告訴訟の対象となることを前提としているところであり、右趣旨において右規定追加前もこれを別異に考えるべき理由を見出し難く、地公法自体本件降任処分当時においても右処分のごときは抗告訴訟の対象となりうるとしていたものと解せられる。

してみると、原告の本件降任処分の取消しを求める本訴請求は右処分が特別権力関係における処分であることによつては妨げられるものではなく、右被告の主張は採用するに由ないものというべきである。

二、次に、被告は仮に右主張が認められないとしても、抗告訴訟の対象となるのは被処分者を当該権力関係から終局的に排除する場合のみに限り、本件降任処分はこれに当らない旨主張するけれども、右主張の理由のないことは前記一において説示するところから明らかであるというべきである。よつて右被告の主張も採用しえない。

三、さらに、被告は、本件降任処分は任命権者の自由裁量に属し、かつ右処分が全く事実の基礎を欠くとか、裁量権の限界を越えまたは裁量権の濫用に当るとは云えないから、これに対しては司法権が及ばない旨主張するので、この点について判断する。

本件降任処分が地公法第二八条第一項第三号に基づき原告が校長としての職に必要な適格性を欠くものとしてなされた分限処分であることは前記第一、に説示したとおりであるところ、前記第三、一において述べるごとく処分権者は地公法に定める事由によらなければ分限処分をなしえないものであるけれども、後記第四、一、(三)において述べるとおり分限処分は公務の能率を維持し、もしくは適正な運営の確保等のためになされるものであつて、その性質上処分権者はある程度の裁量権を有するものと解すべきである。

しかしながら、被処分者の地位保持を図らんとする前記第三、一掲記の地公法の規定の趣旨に照らし右処分権者の裁量の範囲には一定の限界が存することを認めなければならない。しかして、右処分権者の裁量の限界については、処分権者が分限処分を発動するかどうか、分限処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決定することは、その処分が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるか、もしくは社会観念上著しく妥当を欠き処分権者に任された裁量権の範囲を越えるものと認められる場合を除き、処分権者の裁量に任されているものと解すべきである(懲戒処分に関するが、最高裁第二小法廷昭和三二年五月一〇日判決、民集第一一巻第五号六九九頁参照。)

ところで、原告が地公法第二八条第一項第三号に定める「その職に必要な適格性を欠く場合」に該当する者であるかどうかは後記第四、二、三において判断するとおりである。しかして、右判断によれば、被告が何らの事実にも基づかないで本件降任処分をなしたものとはいえないけれども、右処分の基礎たる事実は原告の校長としての適格性を欠くことの徴表であるとは評価しがたいか、ないしは極めて低い評価を与えうるに過ぎないものであつて、本件降任処分が原告の校長としての不適格性徴表事実に基づいてなされた処分であると肯認するにたる実質的基礎を欠くものというべく、結局本件降任処分は事実上の根拠に基づかないか、少くとも社会観念上著しく妥当を欠き処分権者に任された裁量権の範囲を越えるものというほかはない。したがつて、被告はその裁量権の限界を越えて本件降任処分をなしたものというべきであつて、本件降任処分は司法審査の対象となるものといわなければならない。

よつて、右被告の主張も採用することができない。

第四  原告の校長としての不適格性の存否

(請求原因に対する被告の答弁ならびに主張)第二原告の校長としての不適格性の主張について以下判断する。

一、まず、地公法第二八条第一項第三号にいう校長としての職に必要な適格性の概念について明らかにしなければならない。

(一)  校長の職務

原告が園町立長束小学校校長であつたことは当事者間に争いがないところ、校長は市町村が設置する小学校を構成する要素のうち人的要素たる職員の一員であり(学校教育法第二八条、第二九条)、そして教育職員としての免許状を有し(教育職員免許法第三条第一項)教育に関する専門資格を保有するものであつて、小学校が本来の目的とする教育を教育基本法、学校教育法その他教育関係法規等にしたがつて行うとともに、右教育を行つてゆくための学校に関する事務のうち特に校長として次のごとき職務を担当するものである。すなわち、校長はその一般的な職務として校務を掌り所属職員を監督する職務を有し(学校教育法第二八条第三項)、個々具体的には、たとえば学級編制案の作成(公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員の定数の標準に関する法律第五条参照)、定期健康診断の実施(学校保健法第六条)、臨時休業の決定(学校教育法施行規則第四八条)、授業開始時刻の決定(同規則第四六条)、教育計画の作成、指導要録の作成、進転学先への送付(同規則第一二条の三)、職員会議の招集、主宰、教職員人事の意見申出(地教行法第三九条)、児童の懲戒(学校教育法施行規則第一三条第二項)、児童の中途退学の通知(同法施行令第一〇条)、児童の出席状況の確認(同令第一九条)、出席不良好な児童の通知(同令第二〇条)、全課程修了の通知(同令第二三条)等同法施行規則、同法施行令に定める事項等の職務を有し、さらに学校の管理機関が法令に基づきその権限に属する事務の一部を校長に委任し、または、臨時に代理させる場合、規則その他の命令で校長の職務と定めて管理機関の権限を校長に補助執行させる場合それにしたがつてなす職務(地教行法第二六条)、管理機関の職務命令を執行する場合の職務(同法第四三条第二項)、学校管理規則、学則その他の規程により校長の職務とされるもの、地方公共団体の長から学校関係の財務についてその権限の一部を委任され、または補助執行させられる場合のその職務(地方自治法第一八〇条の二)等である。

校長は以上のように種々の職務を担当するものであるが、その中で最も重要かつ基本的なものは教育管理に関するものであると解せられる。そして、右各職務、就中教育管理上の各職務は管理事務であると同時に教育事務であるというべく、この点からみて校長の職務はたんに管理行政的な視点からのみ把えるべきではなく、教育的な視点から把えることが必要なことは明らかであり、かくて教育は「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」(教育基本法第一条)ものであり、また「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」(同法第一〇条第一項)とする教育基本法の理念は校長の職務を理解する上においても重要な意味を有するといわねばならない。

(二)  校長の服務

校長は地方公務員としての身分を有し(教育公務員特例法第三条)、原則として地公法上の義務を負担するものであるが、教育公務員たることから教育関係法規上一般の地方公務員とは若干異つた義務に服するものとされている。すなわち、校長は全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならず(地公法第三〇条)、右義務から発して法令および職務上の上司の職務上の命令にしたがう義務(同法第三二条、地教行法第四三条第二項)、信用失墜行為の禁止(地公法第三三条)、秘密を守る義務(同法第三四条)、職務に専念する義務(同法第三五条)、政法行為の制限(教育公務員特例法第二一条の三、国公法第一〇二条、人事院規則一四―七)、争議行為等の禁止(地公法第三七条)、営利企業等の従事制限(同法第三八条)等の義務に服するものである。

(三)  適格性の概念

校長の分限は都道府県教委が市町村教委の内申をまつて地公法に基づきこれを行うものとされているところ(地教行法第三五条、第三八条)、右分限処分につき地公法第二八条第一項はその本文において「職員が左の各号の一に該当する場合においては、その意に反して、これを降任し、または免職することができる。」とし、その第一号として「勤務実績の良くない場合」、その第二号として「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合」を掲げ、その第三号に「前二号に規定する場合のほか、その職に必要な適格性を欠く場合」と規定する。しかして、右「その職に必要な適格性」とは、一般的に云えば、当該職員が占めている職についてその職務遂行上必要とされる知識、経験、技術、研究、判断、企画、統率、規律、協調、正確、機敏、体力その他素質、能力性格等に関する一切の要素についての人の属性を意味するものと解せられる。

そして、一定の職の適格性を構成するものが右要素中如何なる種類のものかはその職の職務内容如何によつて定まるところであるが、その職に必要な各要素の間にもその職務内容によつて相対的に重要度に差異があるものというべく、またそれら要素は結局において職務遂行に奉仕する点に意味があるのであるから、適格性の判定は各要素毎に機械的になされるべきものではなく、各要素を総合した職務遂行についての素質、能力、性格等全体についてなされるべきものと解すべきである。例えば、技術に決定的な重要性を置く職種において極めて高度な技術は他の必要要素の不足を大幅に補うであろうし、一般的に知識の不足を豊富な経験で、経験の不足を旺盛な研究によつて補い、機敏さにおいて難点があつても正確性においてこれを埋合せるというようなことは当然考えられることである。

次に、適格性を判定すべき能力等の基準に関し、地公法第二八条第一項第三号は、「前二号に規定する場合のほか」その職に必要な適格性を欠く場合に降任、免職の分限処分事由に該当することを規定するところであるから、前二号に規定する場合が適格性を欠く場合の例示であることを示すものであり、また同条第二項は分限処分として休職処分をなしうる場合を規定し、同項各号に該当するような場合には休職処分をなしうるに止まり適格性を欠くものとして降任、免職の処分をなしえないことを明らかにしているから、同条第一項第三号の適格性を欠くというためには同項第一、二号に相当するような場合でなければならないし、また同条第二項に相当するような場合にはいまだ適格性を欠くものとはいいえないことが明らかである。

更に、分限処分は、分限事由に該当する事実が存する場合にその該当事実を除去することによつて公務の能率を維持し、もしくは、その適正な運営を確保する等の目的のために行われるものであつて、懲戒処分とは異なり所属職員の勤務についての秩序を保持し公務員としての義務を尽させるために職員の責任を問う制裁の趣旨を含むものではないから、地公法第二九条に定める懲戒処分事由に該当する事実があつたとしても、そのことだけからはいまだ分限処分事由ありということはできないものと解すべきである。もつとも、職員に懲戒処分事由に該当する事実がある場合同時に適格性を欠くものとして分限処分をなすべき場合もありえようが、それは懲戒処分事由に該当する事実が同時にその者の適格性を欠くことの徴表であると認められることにもとずくものというべきである。したがつて、たんに懲戒事由があるにすぎないのに分限処分をなし、或いは分限処分に名を借りて実質的に懲戒処分を行うことはもとより許されないところである。

(五)  校長としての職に必要な適格性

校長は前記(一)のごとき管理者的、教育者的職務を担当し、(二)のごとき服務上の義務にしたがわなければならないものであるから、校長が右職責を果すにつき前記(三)のごとき適格性の概念に照しこれを欠くものと認められるとき地公法第二八条第一項第三号に該当するものといわなければならない。したがつて、校長がその職責につき法令にしたがわず、あるいは職務上の上司の職務上の命令にしたがわないことがあつたとしても、そのことが懲戒処分事由に該当することあるは別として、そのことだけからはいまだ校長としての適格性を欠くものといえないことは明らかであるというべく、校長が前記(一)、(二)の職責を果しえない場合に、それが当該校長の素質、能力、性格等に基因するため矯正しがたいその持続性が認められ、校長の職務の能率を維持し、もしくは適正な運営を確保するためには降任あるいは免職の処分によらなければこれを除去することができないものと認められる場合に地公法第二八条第一項第三号にいう校長としての「職に必要な適格性を欠く」場合に当るものというべきである。

二、そこで、被告が原告の校長としての不適格性の徴表であると主張する事実について、右適格性の概念に照らしこれを検討することとする。

(一)  学校統合問題に関連して

園町が昭和三二年六月一四日町議会の長束小学校および原小学校を統合して新しい学校を設置する旨の議決をえてその施策に当ることとなつたことは当事者に争いがない。

ところで、被告は原告が右学校統合に対する反対運動に積極的に参加し、かつその間(請求原因に対する被告の答弁ならびに主張)第二、一(一)ないし(一五)において主張するごとき事実が存したことが原告の校長としての不適格性の徴表である旨主張するところ、仮に被告が主張するような態様によつて原告が学校統合反対運動に積極的に参加したものであれば、人事院規則一四―七の定めにより公の機関において決定した政策の実施を妨害したものとして政治行為の制限に反したものというべきであつて、懲戒処分事由に該当する事実があつたものと解されるが、そのことから直ちに原告が校長としての適格性を欠くものと即断しえないことは前記一において述べるところから明らかである。

しかして、仮に右被告の主張する(一)ないし(一五)のそのままの事実が存したとすれば、その個々の事実のうちには前記校長の職責に照し校長としての職にふさわしくない行為と解されるものもないとはいえない。そこで、右政治行為の制限に反する事実ならびに(一)ないし(一五)の事実につき、それが果して原告の校長としての不適格性の徴表となすべきものであるか否かについて判断するに、<証拠>を総合すると、次のような事実が認められる。

(1) 学校統合は原告が昭和二四年四月から校長として勤務し、その学校経営ならびにその地区の社会教育に熱心に取組んできた長束小学校の存廃に関することであつたので、原告の強い関心を抱く問題であつた。しかして、原告は学校統合によつて適正規模であると同人が解する長束小学校が廃校となること、学校統合後の新設学校が適正規模のものと原告には解されなかつたこと、学校統合が文部省の諮問による中央教育審議会の学校統合に関する答申の内容にも反するものと原告には解されたこと等から、学校統合には反対の見解を有するところであつた。

(2) しかして、学校統合は長束小学校の児童、その父兄の利害に直接関することであつたので、同校PTAにおいてもその是非について激しい論議を呼ぶこととなつた。ところで、PTAとしては町議会において学校統合可否の議決が行われる以前に学校統合については長束区民の意思を汲んでこれに当つて欲しいとの趣旨の陳情を町当局に行うこととし、昭和三二年六月三日PTA会長田頭嘉雄作成名義の右趣旨ならびに長束区民の賛否の調査結果を記載した陳情書なる書面を町議会、町教委等に提出した。ところが、その後当時PTA副会長であり、かつ町教委教育委員であつた山崎妙子がこれを取下げ、陳情書未提出の状態で学校統合をなす旨の町議会の議決がなされてしまつた。しかして、長束区民のうち学校統合に反対する者によつて同月一八日学校統合反対運動を推進するため存置期成同盟なる団体が結成されたが、存置期成同盟が学校統合反対の理由とするところは学校統合によつて長束地区の教育、文化の中心を失うことになること、長束小学校が衛生的、環境的に理想的な学校であること、長束小学校が児童数、学級数からみて適正規模の学校であること、学校統合は財政的に困難であること等であつた。その後、同月二二日開催のPTA総会においては存置期成同盟の者によつて右山崎妙子の陳情書取下げが問責され、PTA役員総辞職という事態が発生した。更に、存置期成同盟は長束婦人会長山崎妙子その他役員が長束婦人会員の大多数が統合反対の立場をとつているのに役員として学校統合を推進して右大多数の会員と対立する行動をとることは許されないとして右役員の総辞職要求をなしたが、これが容れられず、存置期成同盟側の婦人は右婦人会を脱退して別に長束地区婦人会を結成するに至つた。しかして、存置期成同盟は右学校統合に反対する理由を掲げて学校統合をなすべきでないことをビラや区民大会を通じて町民に訴えるとともに、町長、町教委、県教委等に学校統合を思い止まるよう一、四九〇名の署名簿をつけて請願したりしてその運動を行つていつた。更に、町長や町議員に対する公開質問状を発したり、町長や町議員が民意を聞かず理由のない学校統合を、しかも財政的基礎もなく推進しているとしてその責任を追求する決議をなしたり、ついには町長のリコールを町民に呼びかけることとなつた。これに対し町長、町議員は原小学校を早急に改築する必要があり、この際原、長束両校を統合することによつて学校施設、備品等の充実を図ることができること、学校統合をなす場合の建築資金は二分の一を国からの補助、二分の一を起債により獲保することができるから町財政の負担とならないこと等を説いて町民の賛成を得るために努力した。ところが、学校統合の賛否の意見の対立に止まらず、両者互いに相手方の見解、行動を非難、誹謗し合う有様で、婦人会を例にとればその分裂後、財産分与や赤ちやん検診に関して争うというがごとき醜い対立を生むこととなつた。

(3) 右のような長束区民の統合賛否両派の激しい対立の中にあつて、原告は前記のごとく学校統合に反対の見解を有していたけれども、長束小学校が学校統合問題に巻き込まれて児童の教育が阻害されることを虞れ、学校職員に対しては児童の教育に専心するよう注意し平常の教育を行わしめるとともに、原告自らもそのように努めようとした。

しかしながら、原告が長束小学校の校長たる地位にあることから、学校統合問題と無関係であることはできなかつた。すなわち、原告は長束小学校の校長として同校PTAの顧問、長束婦人会の理事という地位を附与されていたので、長束区民の激しい対立の中にあつたPTA、婦人会対策に苦慮することとなつた。

例えば、昭和三二年六月二二日のPTA総会では山崎妙子の陳情書取下げをめぐつてかなりの紛糾があつてその収拾に当らなければならなかつたし(ただし原告が怒鳴りたてるというようなことはなかつた)、昭和三七年七月一三日学校統合に関し賛否両派の婦人の衝突に遭遇し困惑することもあつた(ただし被告の主張(九)のごとく原告が右婦人の衝突を惹起せしめたものではない)。

ところで、存置期成同盟は原告にその顧問たる地位を附与して学校関係資料の提供等学校統合反対運動を遂行してゆくための便益を得ようとするし、講堂や教室が従来から長束区民の種々の会合に供されていたことから学校統合に関する存置期成同盟の区民大会、PTA役員会、婦人会総会等も講堂、教室が使用されることから右会合主催者との接触もあつたし、学校統合賛成派から原告は反対派に加担しているとして非難を受けるばかりか、賛成派がその子弟を転校させるという事態も生じた。このような状態の中にあつて、原告は右のように存置期成同盟が区民大会のために講堂を使用することを許容していたし、また存置期成同盟の求めに応じて陳情書取下げの件や児童の転校のことについて区民大会に出席して説明するようなことはあつた。しかしながら、原告が存置期成同盟の主導者となつて行動し、ないしは学校用紙等を存置期成同盟のために使用するというようなことはなかつた。

(4) ところで、学校統合に関する賛否両派の対立も、昭和三二年一〇月中旬当時の県知事の調停により学校統合を一応中止し白紙にかえすこと、この対立のために派生して起つた問題は全て解消すること等の内容を両派が受入れて落着した。

右認定に反する<証拠>は前掲証拠に照らしたやすく信用することができないし、他に右認定を左右するにたる証拠はない。

右認定の事実によれば、果して原告に前掲人事院規則にいわゆる公の機関において決定した政策の実施を妨害したということができる程の言動があつたかどうかも疑わしいが、かりにそうであるとしても、そのこと自体は懲戒事由として問題となりうるにすぎず、原告の校長としての不適格性を示すものとはいえない。また被告の主張第二、一(一)ないし(一五)の事実の一部は右認定の限度において既に否定ないし修正されなければならないところであるが、右一部否定ないし修正せられた範囲においては、かりにこれらの事実があつたとしても、それらは原告が学校統合反対の見解に立つていたこと、学校統合が原告の校長として勤務する長束小学校の存廃に関するものであつたこと、原告が校長としてその立場上長束区民の激しい対立に無関係でありえなかつたこと等に基因するものであり、また原告が学校統合に反対の見解に立つたことは、町の学校統合の施策に反するものであるけれども、前記認定の事実によれば右反対の見解にも一応の根拠がなかつたわけでもなく、存廃が問題とされている学校の校長としてはその職責、経験等からいつて学校統合の是非について見解を有することはむしろ当然あつて然るべきものであることを考慮すると、かかる場合、原告が学校統合反対の見解を有することから、原告に学校統合反対の者に加担するごとき言動があつたとしても、前記第四、一(一)ないし(四)において検討した校長としての適格性の概念に照らし原告が校長としての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとは到底解しえないところである。

(二)  勤務評定に関連して

町教委が広島県勤評規則に基づき(請求原因に対する被告の答弁ならびに主張)第二、二において被告が主張するごとく町内学校長に対し勤務評定に関する職務命令を発し、原告に対し被告主張のごとき指示をなしたが、原告が勤務評定書を提出期限までに提出せず、被告主張のごとき書面を提出したこと、町教委が原告に対し被告主張のごとき勤務評定書の提出を督促したこと、原告が提出期限後に勤務評定書を提出したものであることは当事者間に争いがない。

ところで、被告は右原告の勤務評定書の提出遅延ならびに右に関連する被告の主張(一)ないし(七)の事実が原告の校長としての不適格性を表徴するものである旨主張するので、この点につき判断するに、<証拠>を総合すると、次のような事実が認められる。

(1) 公立学校教員の勤務評定は昭和三二年以降の文教政策の中心をなすものとして全国的に実施されることになつたものであるが、広島県における勤務評定は昭和三三年五月一日施行の広島県勤評規則に基づき同年度から初めて実施されることとなつた。しかして、町教委においても右規則により原告を含めた町内小中学校長に対し所属職員の勤務評定を行うよう職務命令を発するところとなつた。

(2) ところが、それ以前昭和三二年一二月都道府道教育長協議会が「教職員の勤務評定試案」を発表したころから、既に勤務評定実施の当否につき教育界、言論界、その他各方面から激しい論議を生んだのであるが、中でも原告の所属する広教組を含め全国の教職員組合が全国的に勤務評定実施反対の運動を展開したし、日本教育学会の教育政策特別委員会が勤務評定、その中でも特に右試案に対し鋭い批判的見解を公にした。また、勤務評定につき法制上も種々の論議、見解が公にされた。このようなことから、勤務評定を実施しなかつた地方もあり、また勤務評定の方式について県によつては独自のものを採つたところもあつた。しかして、広島県下ならびに若干の他県において校長から勤務評定義務不存在確認の訴が提起されたし、ある県では同年度に多くの校長が勤務評定書を提出しなかつたし、勤務評定書提出遅延にいたつては各地においてみられるところであつた。

(3) このような状況の中にあつて、原告はその研究の結果ならびに広教組の一員としてその決定にしたがうべきであるとの考えから、原告には勤務評定をなすべき義務がないものとの判断に立つて、勤評義務不存在確認の訴を提起した。しかし、原告は一方において、原告が勤務評定書を提出しないことによつて所属職員が人事上の不利益を受けることを虞れたこと、任命権者の人事管理上の支障を回避すべきであると考えたこと等から勤務評定書提出期限には従来採られていた方式により条件評定書に代るものとして「正式採用についての意見書」を定期評定書に代わるものとして「内申書」をそれぞれ提出した。しかして、原告はその後結局は十分の納得をえないままに勤務評定書を町教委に提出するに至つた。

(4) 勤務評定書の、提出を遅延した校長の処分については広島県下では数名の校長が訓告を受けたに過ぎず、他県においては戒告、減給等の懲戒処分を受けたものがあつたが、何ら処分を受けなかつた者も存した。

右認定を左右するにたる証拠はない。

右認定のごとき事実関係の下において、原告が勤務評定書の提出を条件評定書につき一九日、定期評定書につき三四日遅延したからといつて、それは原告なりの信念に発したことであり、かつ、右信念は原告独自のものでもなくこれを支持する見解も少くなかつたのであるから、これが懲戒事由に該当するかどうかはさておき、そのことから原告が校長としての適格性を欠くものとは到底解しえないところである。

しかして、仮に被告の主張(一)ないし(七)の個々の事実が存したとしても、右認定のごとき事実関係の下においては、対立する見解を有する者、特に任命権者と被任命者との対立関係者間においては往々にして起り勝ちな事柄であるとも解しうるのであつて、後記認定の原告と藤井教育長との関係を併せ考えれば、右各事実をそれのみ切り離して過大に評価することは許されないのであつて、これらを原告が校長としての適格性を欠くことの徴表であるとは認め難いというべきである。

(三)  予算の執行に関連して

被告は原告が教育長の指示に反し予算外支出または予算額超過の支出をなし、これが原告の校長としての不適格性の徴表である旨主張するので、この点について判断するに、<証拠>を総合すると、次のような事実が認められる。

(1) 学校の設備、備品等のための支出に当てられるいわゆる学校予算は学校設置者たる地方公共団体の一般予算の一部門をなすものであつて、地方公共団体の予算規模に左右されるものである。ところが、地方公共団体が赤字財政に苦しんでいる現状においては学校経営に十分な学校予算を得ることは困難な実情にある。そのため学校施設等がPTAの支出によつて賄われるということが半ば公然の事実として容認されてきた。右の場合、次年度以降の予算によつてPTAに償還されることもあるし、場合によつてはそのままPTAの負担に帰してしまうことも行われた。また、実際に児童の教育に従事した教職員の給与が教職員の定員等の関係から給与負担者たる地方公共団体の予算から支出することができず、PTAないしは校長の個人負担によつて支給されるというようなことも行われた。その他、当該年度の予算に計上されていない物品で緊急の必要性があるような場合、次年度の予算による支出を見込んで右物品の購入が校長の判断で行われるということもいわば慣例的なものとなつていた。

(2) この点、園町においてもその例外ではなく、教育長の諒解の下に当該年度予算の枠外の物品が次年度の予算を見込んで校長の手によつて購入されるということが行われたし、また緊急の場合先に校長によつて物品が購入され、そして教育長の事後承諾を得るということも行われた。被告のこの点に関する主張(一)ないし(九)の事実のうち(一)の工事は町の責任において行われたものであり、(二)の事実については町の承諾の下に当時の長束小学校PTA会長宮野内梯三が工事費を広島市に代納して行われたものであつたし、原告叱責の事実は他校に対するけん制策に過ぎず、(三)、(七)の各物品購入は教育長から事前または事後に承諾を得たものであつた。

右認定に反する<証拠>は前掲証拠に照らしたやすく信用することができないし、他に右認定を左右するにたる証拠はない。

右認定の事実によれば、仮に被告の主張するごとき予算の事前執行等があつたとしても、それは止むを得ない措置として一般に容認されていたものであつて、しかも右被告の主張する事実のうちには右認定のごとく町長あるいは教育長の諒解の下に行われているものも存するのであるから、予算の執行に関して原告の校長としての適格性を欠くものと認められるにたる事実があつたとは認め難いところである。

(四)  婦人会に関連して

被告は婦人会に関連して(請求原因に対する被告の答弁ならびに主張)第二、四、(一)ないし(三)の事実が存し、これが原告の校長としての不適格性の徴表である旨主張するところ、前記第四、二、(一)において認定するごとく学校統合に関し長束区民が賛否両派に分かれ両者が激しい対立関係に立ち、その対立が婦人会においては長束婦人会からの統合反対派の婦人の脱退、脱退者による長束地区婦人会の結成、その後の両者の対立という事態を生ぜしめたのであつた。その際、原告が学校統合反対の見解を有していたものであるから、反対派の者から利用され勝ちであつたところ、右被告の主張(一)ないし(三)の事実については<中略>これを認めるにたる証拠はない。かえつて、<証拠>によれば、右被告の主張(一)については昭和三二年度の予算案の提出に関して理事たる原告が助言したに止まり、(二)については原告が栗原貞子の求めに応じて同人の意を伝達したものであり、(三)についてはその場の情勢からみて同人の要請もあつて学校で行うべきであるとしたに過ぎないことが認められるところであつて、被告主張のごとき叱責、威嚇等の事実があつたとは認め難い。したがつて、右被告らの主張は採用するに由ないものというべきである。

(五)  原告の小学校校長としての日常行動に関連して

被告は(請求原因に対する被告の答弁ならびに主張)第二、五において原告は先天的に傲慢にして独善的な性格を有する旨主張するけれども、これを認めるにたる証拠はない。仮に右第二、五、(一)ないし(八)の事実が存したとしてもそれだけではいまだ右被告の主張するごとき原告の性格を認めることは困難であるといわなければならない。

そこで、右被告の主張(一)ないし(八)の事実が原告の校長としての不適格性の徴表であるとの被告の主張について判断するに、<証拠>を総合すると、次のような事実が認められる。

(1) 原告は昭和二四年四月から校長として長束小学校に勤務することとなつた。ところで、昭和二七年から昭和三一年にかけて原告の直接の上司である園町教育長の職にあつた建畠射知二は原告の人物について真面目で教育信念に忠実であり、学校経営の成績は町内学校中優秀であつて、父兄の信頼も特に篤く、社会教育についても町内学校中もつとも熱心であつたと評するところであつた。また、原告が誠実さ、真面目さ、教育信念を通す自主性、積極性を有する人物であることは多くの人の認めるところであつた。しかして、右原告の教育信念を支えるものは憲法、教育基本法の理念であつて、これにしたがい次のごとき学校経営を行つてきた。すなわち、原告は校長に就任後まず手洗いの奨励、毎週一回の健康相談日の特設等児童の健康管理に意を用い、さらに級長、副級長制の廃止、一人一役の日番制の実施、全員褒賞制度の採用等児童の民主的な意識の形成、自主自立の精神の涵養に努力を傾注し、その他学校施設の充実、社会教育、PTA運営等にも心を配り、そして学校職員ならびに父兄の深い信頼の下に民主的な学校経営に当つてきた。その間、貧困児童に弁当を与えたり、修学旅行費を支弁してやつたりするような原告の児童に対する教育愛を示す事例もみられた。

(2) ところで、元園中学校校長であつた藤井武夫が昭和三一年一〇月町教委教育長に就任したのであるが、その前同教育長が園中学校校長の職にあつたとき、同校長が英語、数学等の学科につき児童の能力に応じた学級編成を採用し、これに対し原告が義務教育の段階において右のような学級編成を行うべきでないとして藤井校長を批判するようなことがあつたし、また同校長が出身小学校別に未開放部落に属する者の名簿を作成し右の者らを差別したということで原告が同校長を批判するようなこともあつて、原告と同校長との間は感情的にも対立するところがあつたところに、同校長が教育長に就任して原告の直接の職務上の上司となつたばかりか、その後に学校統合問題、勤務評定問題等が発生しその際原告がいずれも藤井教育長と対立する立場に立つこととなつたことから、一層両者の関係は円滑を欠くこととなつた。

(3) そのうえ、学校統合の問題に関し長束区民の利害が衝突し区民の激しい対立が生じるという事態が発生したが、その際原告が学校統合反対の見解を有していたことから学校統合に反対の者らは原告をこれに利用しようとするし、他方賛成者は原告を非難するということになり、原告と右学校統合賛成の長束区民との関係も円滑を欠くこととなつた。

右認定に反する<証拠>は前掲証拠に照らしたやすく信用することができないし、他に右認定を左右するにたる証拠はない。

右認定の事実によれば、仮に被告の主張(一)ないし(八)の事実が存したとしても、それは原告と藤井教育長との個人的な対立感情ないしは長束区民の激しい対立関係に基因するものと解されるところであつて、これによつて原告の一般的な日常行動を推測することの不当なるはもとより、かかる事実の発生が原告側の責にのみ帰せしめられるべきものとは到底解しえないところである。なお、右措信しない証拠中、被告の主張(一)ないし(八)に添うものが存するけれども、右認定に供した証拠に照らし原告が宮本佳世子を「罵倒」したり、藤井教育長に「暴言」を吐いたりしたとまで認めることは困難である。

以上のとおりであつて、原告の校長としての日常行動に間連して原告の校長としての不適格性を表徴する事実があつたとは認め難い。

(六)  本訴提起後の原告の行為について

被告は(請求の原因に対する被告の答弁ならびに主張)第二、六、(一)、(二)の事実を原告の校長としての不適格性の徴表である旨主張するが、右被告の主張(一)の事実が仮に存したとしても、記録上明らかな昭和三四年三月二日の本件訴提起以後今日まで深刻に争つてきた訴訟当事者間にあつては、右のような事柄は往々にして起りうることであつて、もとより非難すべきことであるには違いないがそれ程重大視すべき問題とはいえず、そのことをもつて原告の校長としての不適格性の徴表とみることは困難である。右の(二)主張事実については、本件記録によれば原告が昭和三四年四月二七日午後一時の準備手続において同月二五日付準備書面に基づき「原告が前記反対運動に参加したことは相違ないが」と表現したことが認められるけれども、右準備書面による原告の具体的な被告の主張に対する認否および原告の主張に照らして考えれば、右被告の主張するごとき自認があつたとは認め難いところであつて、右主張はその点において既に採用に値しないものというべきである。

三、右二、において被告が原告の校長としての不適格性の徴表として主張する事実の個々について判断したものであるが、ここで原告の校長としての不適格性の存否について総合的な見地から考察する。

まず考慮すべき点は右二、における判断から明らかなごとく仮に被告の主張するごとき事実が存したとしても(被告の主張する事実のうち認めえない事実の存することは前記二、における判断のとおりであるが)、その原因は原告の校長としての適格性の存否によるものではなく、いわばそのときどきの校長としての原告をめぐる諸情勢に基因するものと解すべきものがその大部分であること、しかも、その事実のうちには原告と藤井教育長との前示の如き特殊な対立関係にその原因があると認められる事実が数多く存するということである。

次に、本件で注目されることは、原告は昭和二四年以来約一〇年間校長を勤めているのに、被告が原告の校長としての不適格性の徴表であるとして主張する事実の大部分が学校統合問題が発生した昭和三二年以降の限られた時期に集中しているということである。かかる発生時期、原因から考えて、これらの事実が本来原告の校長としての適格性を欠くことの徴表であるとは解しがたい。

さらに、原告が右約一〇年間の在職期間を通じて学校経営等にすぐれた成績を挙げていたことは前記第二、二、(五)、(1)で認定したとおりであつて、このことも右判断を首肯させるにたる事実であるといわなければならない。

もつとも、右被告主張事実全体を通じて考えると、右に述べたような発生時期、原因の点を考慮してもなお、原告には人に対する包容力、人との協調性において若干欠ける点(自己の信念に忠実ならんとするに急な人間にありがちな傾向であるが)があつたのではないかと疑う余地は存する。そして右包容力、協調性等も一の(一)、(二)に示した校長の勤務及び服務に照らし校長の適格性を構成する要素と解されるが、それは校長の適格性を構成すると考えられる知識、経験、品格、徳性、研究、判断、企画、統率、規律、その他数多くの要素の一つに過ぎず、しかもその中で決定的重要性を有する要素とも考えられないところ、前示のごとく適格性の判定にあたつては各要素を総合して判断すべきであるから、仮に原告に包容力、協調性において若干欠ける点があつたとしても、これのみによつて校長としての適格性なしと判定することは許しがたいものというべきである。

ちなみに、原告が本件降任処分を受けるに至つた経緯について考えてみるに、<証拠>によれば、町教委が原告の処分を被告委員会に内申するに当つては町教委としては原告の勤務評定書提出遅延を主たる処分事由として考えていたこと、しかも懲戒免職処分に附すべきであるとの意向を有していたものであること、ところが被告委員会の降任処分の内申をなして欲しいとの意向により分限処分たる降任処分の内申を行うことになつたことが認められる。右認定を左右するにたる証拠はない。

右認定の事実によれば、直接の監督者である町教委自体地公法第二八条第一項第三号による降任の分限処分をなすことを考えていなかつたことを認めうるところである。(さりとて、右の事実から被告委員会が事案を懲戒処分より分限処分が相当であると考えたとは解しがたいのであつて、むしろ被告委員会としては事案の性質上懲戒免職処分をすることは困難であると考えたが、より軽い懲戒処分としては他に停職、減給等の処分はあつても降任処分が規定せられていないため原告を校長の地位から排除したいという町教委の意を汲んでやむなく降任処分の可能な分限処分を選んだものの如く窺われるのである。)

四、なお、以上の事実関係につき被告は昭和四〇年六月七日午後一時の本件口頭弁論期日において民事訴訟法第一八七条第三項に基づき証人藤井武夫、同有馬静男の各再尋問の申立をなし、当判判所は右申立を採用しなかつたが、その理由は次のとおりである。すなわち、先に行われた証人藤井武夫、同有馬静男の各尋問の後、本件審理の合議体を構成する裁判官の過半数が更迭したことは再三であるにもかかわらず、被告はその間右各証人の再尋問を申立てることなく右口頭弁論期日に至つて始めてその再尋問を申立てたものであることは記録上明らかであるから、右申立は時機に後れたものというべきところ、右各証人の尋問を採用すれば右証人の従前の証言内容、これによつて誘発せられる原告側からする再尋問申請の蓋然性等に照らし訴訟の完結を遅延せしめるものであることは明らかであるというべく、かつ右訴訟の経過からみて右申立の後れたことは少くとも重大なる過失によるものと認められるからである。

第四  公共の福祉との関係

被告は本件降任処分を取消すことは公共の福祉に適合しないことになるので、本訴請求は棄却さるべきである旨主張するので、この点について判断する。

本件降任処分は原告を公立学校校長から公立学校教員教諭の地位に変更することをその内容とすることは当事者間に争いなく、本件降任処分の取消しによつて原告が回復するのは公立学校校長の身分であつて、いずれの学校に補職されるかは本件降任処分の取消判決の効力とは別個の問題に属することであるから、本件降任処分取消しの判決によつて長束地区に混乱を惹起するとする被告の主張はその前提を欠くものであるというべく、その他公共の福祉に適合しないことを認めるにたる資料はない。

よつて、右被告の主張は採用することができない。

第五  結論

以上のとおりであつて、原告が公立学校校長としての職に必要なる適格性を欠くとの被告の主張を認めることができず、本件降任処分は地公法所定の要件を欠く違法の処分というべきであるところ、右違法処分の取消しを求めることを妨げるべき事由も存しないから、原告のその余の違法事由の主張について判断するまでもなく、本件降任処分の取消しを求める原告の本訴請求は正当であつて、これを認容すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(胡田勲 永松昭次郎)(裁判官清水利亮は転任につき署名押印することができない)

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